はじめまして、福岡県うきは市にて
「しゅうたの畑」という農園をやっています。

青木 秀太と申します。

この度は、当サイトへお越し頂きまして

ありがとうございます。

以下簡単ですが自己紹介です。

青木秀太(アオキ シュウタ)

S56年 12月11日(37歳)
福岡県うきは市在住。
梨・ブドウ農家の長男として産まれる。

高校の頃よりキックボクシングを始め、
2007年チャンピオンとなる。

福祉業界では介護福祉士・ケアマネージャー
をへて、現在施設管理者として在職中。

2018年11月、父の

「この木を全部切ってしまえ!」

の言葉に心動かされ、産まれ育ったうきは市
にて農家になることを決意。

家族   妻・子供(長男8歳・長女6歳)
両親   父75歳・母70歳

性格     「明るいくポジティブ」
好きな言葉  「ありがとう」
趣味     「よさこい」

 

《 農園を始めようと思ったきっかけ 》

「俺になんかあったら、この木を切ってしまえ!」

産まれた頃から梨とブドウに囲まれた農家の長男として生をうけました。

うきは市でも農家としては大きな農家で、両親は常に仕事の毎日。
夏は特に忙しく、友達は家族で旅行や遊びに出かける中、私は毎日手伝いをさせられていました。そんな農家の我が家が正直

「大嫌い!」でした。

物心つくころには、農家にだけはならないと思っていたものです(汗)

そんな自分は何に興味があったかというと、それは「格闘技」です。
体が小さかったこともあり、小さい頃から
ジャッキー・チェンやリングその物に憧れを
持ち、高校生の頃たまたま近所にキックボク
シングジムができたので直ぐに門を叩きました。

センスはなかったですが、1997年から
始め丁度10年後の2007年にNKBという
団体でチャンピオンになることがでました。
(10年間続けたのが要因かな~継続は力なり?)

仕事はと言うと(キックボクシングだけでは食べていけないので)
おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に暮らしていたこともあり、老人の方達が好きだったので福祉の仕事に就きました。

福祉の仕事では、介護福祉士、ケアマネージャーと経験を積み現在は施設の管理者としてご利用者様の支援にあたっています。

そんな中、2018年の11月
「俺になんかあったら、この木を切ってしまえ!」
という父親の言葉が飛び出したのです。その言葉を夫婦で聞いていました。

そもそも何でこの言葉が飛び出したかと言うと、母が入院したからです。
今まで大きな病気もせず父の支えになってきた母。

そんな母が肺炎で入院してしまったのです。
大事にはいたらず、2週間ほどで退院はできたものの、父もそんな姿を見るのはショックだった様子で、自分がこうなったら・・・
というのを想像してしまい出た言葉だったとようです。

農業は嫌いと言いながらも、我が家で作った野菜や果物は大好きだったので、自分は勿論、妻や子供達も喜んで食べていました。

特に子供達は
「ジジの作った野菜は美味しい!ジジの作った果物は美味しい!」
と言って毎日喜んで食べていたので、それが無くなると思うと自分の中で「本当にこれで良いのだろうか?」という
気持ちが沸き出てきました。

そしてその気持ちは妻も一緒だった様子です。

そんな気持ちをお互い持ったまま、家族で佐賀に旅行に行った日のことです。

妻の両親、義理の姉夫婦も一緒だったこともあり、たまたまですが、
「リンゴ狩りに行こう!」となったのです。
正直自分は「リンゴ狩りなんてしたくないな~」と思っていました。

果物農家の長男として産まれた自分はフルーツ狩りなどに興味なく、生れてこのかた他人の農園のフルーツ狩りなどしたことなかったのです。

ですが、行ってみてビックリ!天気もよく、見晴らしの良いリンゴ園で
子供達が「キャーキャー」言って楽しんで、取ったばかりのリンゴを
「美味しい!」と言って食べている姿、そしてそれを幸せそうに見ている

妻を始め、義理の両親、姉夫婦。
そんな姿を客観的に見ていた私は

「・・・こういうことなんだ、親父のやっていたことは」

と感じたのです。ただ野菜や果物を育てていた訳ではない、
その先のこういう姿を想像して、朝早くから寒い日も暑い日も毎日畑に向っていたのかと。

考えれば分かることかも知れないけど、愛情を込めて作った物を提供するということは、人に喜んでもらうことと言うのを私は気づいていませんでした。

このことを妻に話したら妻も、一緒のことを考えていたようで、
「やっぱり、家の農園(野菜や果物)が無くなるのは
寂しいよね!子供達にもまだまだ食べてもらいたいよね!
そして、他の沢山の人達に食べてもらいたいよね!」
と気持ちは一緒でした。

このことがきっかけで、ほぼ両親の手伝いなどしてこなかった自分ですが、畑に出るようになり、手伝いを始め、植物を育て、消費者の方に提供するという楽しみや、喜びを知った私は専業農家としてやっていくことを決めました。

 

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