農家になるまでの生い立ち

幼少期

畑の中で育ち活発な子供ながら、甘えん坊でもありました。兄妹は姉がいますが歳が10歳も離れていたのでほぼ一人っ子みたいな物です。

小さい頃の夢は野菜や果物の遊園地を作ること』(小学校に書いた将来の夢より)

こんな感じで、農家の長男ということを気にせず育っていた時期もありますが、小学校高学年になる頃には農家という仕事、家柄が大嫌いになってきました。

なぜ?

それは、両親は一年中忙しく働き、特に夏になると繁忙期真っ只中なので、自分には夏休みという物が存在せず、逆に手伝わされる毎日。回りを見ると友達たちは遊び回り、旅行に出掛けたり、家族で夏休みを楽しんだり。そんな姿を羨ましく見ていました。

 
10代(中学生、高校生)

この頃になっても農家という仕事への見方は変わらずダサイ忙しいカッコ悪いといった考え方は続いていました。

この頃の自分の夢は
プロのキックボクサー

体か小さく、気持ちも弱かった自分は強い人、ジャッキー・チェンやK-1選手、また、リングそのものに憧れるようになってきました。

中学生の頃にはプロのキックボクサーになる!と回りの友達たちにも言って「無理だよ」とバカにされていたのを思い出します。

そんなこんなしていたら、高校生の頃たまたま近くにキックボクシングのジムが出来ました。「すざくジム」というジムです。

直ぐさま入会しました。
そのジムの一人目の入会者です。

そこからは練習、練習の毎日。好きなことだから毎日練習することが楽しかったです。

高校生の内にプロデビュー
憧れていた東京後楽園ホールのリングに上がりました。

目標はもちろんチャンピオン!トントン拍子に行く絵が頭にはありましたが…もちろんそんなはずはなく、チャンピオンという夢を叶えるまでに10年の月日がかかりました。16歳で入門し26歳、6月のことです。

福祉の仕事時代

目標にしていたチャンピオンにもなり防衛線で負けて引退を決意。その後は併用で行っていた福祉の仕事にどっぷりハマることとなります。

一般の介護職から始まり、介護福祉士、ケアマネージャー、そして最後は介護施設の施設長をやらせてもらいました。この施設長の経験が、今の農家という生き方に繋がってきます。

「自分の理想の施設を作るぞ!」
と意気込んで施設長になりました、ですが、いざ開設すると施設運営・スタッフマネジメントが上手く行えず悩む日々が続きました。

いつしか「上手く行かないのは自分が悪いんだ・・」と自分自身を追い込むようになりました。そしてとうとう、ドラエモンのように押入れに閉じこもるまでに自分の「」を追い込んでしまったのです。今思い返すと、そんな姿を見ていた妻、子供たちにものすごく心配をかけてしまったと感じます。

そんな状況の中、母が入院したことをきっかけに、代々農家(主に梨を栽培)をしていた父親が、この梨の木を切ってしまえ!」と、農業をやめようとしました。

そんな、父親の発言をきっかけに「子供たちがジジ野菜は美味しい!」と言って食べているのが無くなると思うと寂しい気持ちにもなり、少しずつ実家の農業を手伝うようになりました。

そこから自分の心に変化が起きてきます。フカフカの土に触ったり、種を蒔いた畑からカワイイ芽が出ていたり、植物が育っていく成長過程を見たり、子供のように育てた作物を収穫したりしていると、自然と心が癒されていくことに気が付きました。

人は心が癒されると、次は前を向いて次の一歩を踏み出そうという力が沸いてきます。その一歩が踏み出せれば後は進むだけです。
自分は施設管理者としての役割と向き合い戦えるようになりました。しかも、農家として独立という気持ちまで湧いてきて、実際に2020年からは専業農家としてやっています。

このエピソードから言えることは

畑には「人の心を癒し、パワーを与え、未来への一歩」を生み出してくれる力があるということです。自分自身が畑からこの事を学ばせてもらったので、今度はしゅうたの畑に関わって頂ける方に「心の癒し」を届けられるような畑を作り上げて行きたいと思っています。

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